創造物語の中の女性

Scriptural Meaning!

The literal sense

Rationalizations!

Intended ScopeLiterary FormsMeaning of a text

聖書には二つの創造物語があり、当然のことながらそれぞれ印象的且つきわめて重要で相互に補完しあっている。

創世記 1,1-2,4

最初の創造物語、創世記1,1-24は創り主である神の創造計画として宇宙の起源を述べる。当時、紀元前4世紀の人々は世界を大きな家だと理解し、床は平らな地球で、天井は空であった。太陽、月、星は昼間と夜の光であった。海の魚、陸の植物と動物、空の鳥は神が造った家具であり食物と思った。

神の創造の業のクライマックスは人間の創造であった。世界は彼らの家として造られた。彼らは神のように論理的に考え、責任を持って行動することができたので特別な存在であった。彼らは神のかたどりであった。

神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて人を造ろう。
そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、
地を這うものすべてを支配させよう。」
神はご自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。




創世記1,26-27, ヘブライ語からの直訳

そして神は人を祝福し、世界を治める責任を与えた。しかし神は彼らが被造物に過ぎず、創造主の主権を尊重することを期待した。それ故に神は世界を6日間で造り、7日目を休みとし、人が休息し、礼拝するための時間をとることを教えたのである。

注:この記述と進化の間には全く何の矛盾もない。創世記は世界がどのように造られたかを教えるのではない。ただ神によって造られ、人の住まいとして人に与えられたということだけである。「7日」も文学的効果を目的にした比ゆ表現に過ぎない。

この記述からすべての人は神の似姿に造られていることは明白である。男も女もはっきりと言及されている。このテキストに関する限りすべての人はおなじ尊厳、同等に権利と義務を備えて造られている。

神にとっての女性の平等に関する暗示は後のユダヤ教の中で失われた。ユダヤ人男性は彼らが異邦人、奴隷、女性に造られなかったことを日に三度感謝する。「私を異邦人でもなく…奴隷でもなく…女にでもなく造られた故に、私たちの神である主、宇宙の王よ、あなたは祝福されますように。」 この祈りは18の祝福の一部であり、今日でもオーソドックスユダヤ教徒が唱えている。Suddur Thillat, Hashem, New York 1982,p8

多くの教父たちと後世の神学者たちはこの箇所の重要性を評価しなかった。

創世記 2,5-3,24

第二の創造物語は神が人を幸せにすることを意図したことを教えているが、罪が不幸と苦しみをもたらした(創世記2,5-3,24)。第一の物語のようにこれも如何に世界が造られ、如何に罪が始まったかの文字通りの描写と取るべきではないだろう。物語はたとえ話で、詳細な記述はイメ-ジで、教義上の事実ではない。

ここでは地球を神が造られた美しい楽園に譬えている。神はこの楽園の世話をするために人をそこに住まわせた。しかし、人はただの小作人以上になることを望んだ。彼らは神と等しい者になり、楽園を所有したかった。そこで神は彼らが自活するために苦しみと困難に満ちた所に追い出した。しかし、ある日神は彼らとの関係を回復するのであった。1

注:紀元前9世紀頃おそらくユダヤ王国あたりに住んでいた聖書記者はエデン、命の樹、悪の化身である蛇、子どものような無邪気さのシンボルとしての裸などその当時の大衆的なイメ-ジを使う。

この文脈で本文がどのように人の創造を扱っているか読んでみよう。

主なる神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、

その鼻に命の息を吹き入れられた。

人はこうして生きる者となった。

創世記2,7

著者はヘブライ語のアダムである人とアダマである『土』との密接な関係を知っている。人はその根源を神の創造的な息にあると同時に土に根を下ろし、物質と霊とから成っている。まだ性別のない土のような存在は英語で『それ』と呼ぶべきである。私たちは『土の被造物』と訳す。1

ヘブライ語では『彼』と『それ』は同じ言葉で『土の被造物』についてはF.FERDER and J.HEAGLE, Notre Dame 1989, pp.31-46を見よ。

ヘブライ語への感度は以下の引用文を訳す上で基本的なことである。

主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

そこで主なる神はあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土でつくった。彼はそれらをどう呼ぶかを見るために土の被造物に紹介した。それぞれはそれが与えた名を持つ筈であった。土の被造物はあらゆる家畜、空の鳥、空の鳥、野獣に名をつけた。 しかし、それらの中の一つもそれ自身のような仲間ではなかった。

『それ自身のような仲間』は『助け手』、助手、二級の世話人ではない。ヘブライ語のezerは本当のパ-トナ-を意味する。 聖書はしばしば神を私たちのezer(ホセア3,9;詩篇33,20;70,6;115,9;146,5;出エジプト8,4)と呼ぶ。そのようなパ-トナ-となる平等性も動物にはありえない。

主なる神はそこで、土の被造物を深い眠りに落とされた。

それが眠り込むとそれから『脇』の一部を抜き取り、

その跡を肉でふさがれた。

そこで土の被造物から取った脇から‘wo-man’を造り上げた。

そして彼女を土の被造物に紹介した。

土の被造物は叫んだ。

「ついに、これこそ私の骨の骨、私の肉の肉!

彼女は’wo-man’と呼ぼう。まさに男から裂き取られたものだから。」

こういうわけで、男は父母を離れて彼の’wo^man’と結ばれ、二人は(再び)一体となる。

創世記 2,21-24

この箇所で筆者は不思議な変化を描く。神は人がそんなに『深い眠り』に陥っている時に彼らに働きかけられると考えられていた。例えば、神はアブラムが深い眠りに襲われているとき彼と契約を結んだ(創世記15,12-21)。彼はそのような状態で人々に幻や夢を見させた(ヨブ4,13,33,15:ダニエル8,18;10,8)。

この場合、宇宙が深い眠りにある時神はいわばそれを二つの部分に分けた。本文のこの解釈はtsela の正確な訳からである。Tselaは下記のように『あばら骨』ではなく『脇』を意味する。

  • 山腹(サムエル下6,13)
  • 幕屋の側面(出エジプト26,20-35)
  • t祭壇の両側(出エジプト27,7)
  • 神殿の門の両扉の扉(列王記上6,34)
  • 神殿の『脇間』(エゼキエル41,5-26)

実際は聖書の他の箇所ではtselaという語は『脇』と訳されている。

参考資料として:: L.ARNALDICH, ‘La Creacion de Eva’, Sacra Pagina 1 (1959) pp. 346-357; J.J.O’ROURKE, ‘Early and Modern Theologians and Eve’s Formation from Adam’, Sciences Ecclésiastiques 13 (1961) pp. 427-435; J.DE FRAINE, Genesis, Roermond 1963, pp. 50-51; Ph.TRIBLE, ‘Eve and Adam: Genesis 2-3’, in Womanspirit Rising, New York 1979, pp. 74-83.

では、この聖書の一節は何を意味しているのか?

聖書記者が心に抱いていたイメ-ジは彼の記した箇所を古代の創造物語に照らし合わせる時に明白になる。即ち、最初の人は両性で男であると同時に女であった。

もし彼女/彼がそれぞれ反対の方向を見ている二つの顔を持っていたなら、四つの腕と四本の脚を持っていただろう。両性にするために創造主である神は人を二分し、各々に一つの顔と二本の手足を持たせた。

この創造物語の全記録はPLATO(428-348BC)のSymposion 14-16章にある。物語はユダヤ人にも知られていて、創世記の司祭伝承の話に関係付けられていた。R.GRVES and R.PATALのHebrew Myths. The Book of Genesis, London 1965年、65-69頁を見よ。

これは聖書記者が持っていたイメ-ジのようである。神は土の被造物を深い眠りに陥らせ、そこでそれを二分し、平等な男(man)と女(wo-man)にした。ヘブライ語でこれら二つの語は男はish女はishshahである。男は女を彼の骨からの骨とまさしく呼んだ。何故なら二人は真に同等で完全な体に再びなるためにお互いを必要としているからである。

の罰(創世記3,1-24)

物語の後半の人が罪に落ちる箇所は男と女の同等の尊厳のイメ-ジをひっくり返すことはない。男も女も神への反逆を分かち合う。二人とも罪を意識し、恥じ入った。二人に罰として苦痛が負わされた。特にテキストは人の典型的な苦しみを挙げている。即ち、男は異国で苦労して地を耕し、女は出産の苦しみと夫の支配を受けることである。

神は女に向かって言う。

「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。

お前は苦しんで子を産む。

お前は男を求め、

彼はお前を支配する。」

創世記 3,16

これは夫が妻を支配下に置いてよいという許可証ではない。これは事実の声明に過ぎない。罪の結果の通達である。近代社会で男は旱魃や疫病がはやる時に額に汗して穀物をつくる必要はない。同じように女も産みの苦しみや夫のいじめに会わない。さらに、テキストは女の子孫が悪に打克つ時、より良いものを約束する(創世記 3,15) .

従って、第二の物語は第一で見たことを確認する。人は神の似姿に創られた。彼らは神自身の息が素材に吹き込まれた。男と女は等しいパ-トナ-でこの世界の世話を見る役目を与えられた。もし不平等が人間社会に忍び込んだのなら、それは神の計画ではなく、人間の罪の結果である。

Cora E. CypserのThe Perennial Problem of Sinで述べられている創世記物語と新約聖書におけるそのテキストの引用とそこに同行する祭司伝承の解釈を見よ。


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