盲目的従順?

「教皇は教皇なのだ!

教会は完全な服従を教える。『ロ-マ教皇の真正なる教職に対しては格別な理由で、たとえ教皇座宣言でない時にも、意志と理性のこの敬謙な従順を現さなければならない。すなわち、教皇の最高の教職を尊敬をもって認め、教皇のことばに、教皇が示す考えと意向のとおりに、誠実に同意しなければならないのである。』」(教会憲章
no25)

「これは事の半分しかいっていない!

真の忠誠と従順は私たち自身の人格、理性、意志などを否定するものではない!

第二バチカン公会議は『権威の下にある人たちは知性と意思の力だけでなく自然と恩恵の賜物を提供して命令を果たす』ことを勧めている。

このようにしてのみ、従順は人間の尊厳をおとしめるのではなく、神の子に与えられるより大きな自由の中で人を成熟へと導くのである。
修道生活の刷新・適応に関する教令no14





「ロヨラの聖イグナチオの教えを忘れてしまったのだろうか?

盲目的な従順は誰かがステッキとして使うことができる一本の棒切れにあなたをしてしまう。

従順というものはあなたが見る黒を白として受け入れることを要求する。』



「イグナチオは確かにそう言った。しかしこれを文字通り受け止めてはならない。彼は自分が創立したイエズス会の会員たちに知的で、誠実で、批判的でしかも創造的であることを望んだのではなかったのだろうか」

従順の定義は自分の頭を使い、自由な個人としての自主性を公正に扱う筈である。


  • 「従順は私たちの心の中に聞こえる神の呼びかけに耳を傾けることである。それは共同体の中で体験され、表現され、示され、私たちの内的な権威に従うことである…..キリストに従うこと、私の司教に従うこと、神に従うこと、これらすべては神の似姿である私自身に誠実であることに根ざしている。」
    バ-バラ・シュミッツ

    Barbara Schmitz
  • 「批判的でない主張をさせる組織について自由で、批判的であることを除いて、真の従順はいつでも奉仕する準備ができていることを意味する。」
    ジョン・チティスタ-(Joan Chittister





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